流れるままに戯言日記

流れるままに日々の思いを綴ります。

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今こそ脱亜!

お久しぶりです。
日記のヌシは連日の暑さで、オヤジの一夜干しと言わつつもかろうじて生きています。さて、ここ最近のニュースを見て思ったことを少しばかり。
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 毎年の事ながら、終戦の日になるとマスゴミが閣僚の靖国神社参拝の話で盛り上がる。マスゴミはゴミだから、鼻をつまみつつも生暖かく見ておれるが、難癖を付けてくる外国には大いに違和感というか、嫌悪感を覚えずにはおれない。

 靖国は国家が国民に命じ、戦場に駆り出し、戦死した人たちを祀る場所である。ここにお参りをし、ご冥福を祈り、感謝の念を捧げるのはその国の指導者の「義務」である。勘違いしては行けない。「権利」ではなく、「義務」なのだ。「普通の人間」であれば言われずともそのように行動するし、多少の障害があっても遂行するのが当たり前だ。また、「普通の人間」ならその行為を批判、非難することは無い。

 ところが、これをあからさまに非難してくる輩が現実にはいるんですな。「普通じゃない人間」はどこの国にも少数はいるので、マスゴミを始めとした、日本国内の特亜シンパの反応は腹立たしいが、まあ仕方ないと思うしかない。が、他国の国民・国家が総出でこれを攻撃してくるのは実に許しがたい。言わずとしれた特亜の輩だ。

 かつて福沢諭吉は脱亜論を書いた。現代語訳を読んでみると、まるで今現在の事を述べているかのようだ。早々に特亜の素性を見ぬいたところなど、やはり一万円札の肖像になるだけの立派な人物であることは疑いようがない。ちなみに脱亜論が書かれたのは明治18年(1885年)だから、じつに100年に以上前のことである。100年たっても特亜の本質は何も変わらない。

 自分が、特亜と縁を切ることを勧めるのは、単にイヤな奴だからという理由だけではない。単に嫌いなだけなら、それはそれでそれなりに付き合うことはできる。ロシア、アメリカ、イラン、イスラエル・・・。イヤな奴でも彼らなりに普通の人間・国家だ。

 特亜との縁切りを強く進言するのは、向上心を持った普通の人間、国家とは見なせないからであり、彼らに染まれば確実に堕落の道を歩むことが見えるからだ。脱亜論にも「地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている」と強く警告している。日本が少なくとも普通の人、国家として他国と付き合う以上、決して特亜色に染まってはいけないと断言しておく。

 しかしながら、無防備な日本はいろいろなところで特亜色に染まりつつある。マスコミのキムチ、中華臭さは言うまでもなく、企業も拝金主義に染まり特亜臭を発している。学校教育も然り。大津の陰湿ないじめも根っこは特亜的人間腐敗が背景に有りそうだ。特亜も日本ブランドを意識して日本への浸透を狙っている。先日のジャパンエキスポへの韓流ゴリ押しなどもその一端。

 長くなったので結論を言う。中国、朝鮮(南北)とは一切の縁をキッパリ切ること。一時的な経済損失などにおびえてはならない。これは民族・国家が未来永劫健全に存続するための揺るぎない決意としなければならない。特亜との関係でふさわしいのは「友好」ではない。「緊張」と「対立」である。

 全世界に対しては、特亜と日本は「西洋-東洋以上の違いがあること」を明確にアピールし、認識させる必要があるし、国内教育にもその徹底が重要だ。近所に強盗、泥棒がうろついているからこそ、うかつに騙されないよう心を鍛え、力に押されないよう体を鍛え、隙を突かれないよう家には厳重に鍵を掛けるようとするのが当たり前の「普通の人間」。強盗、泥棒を家に招き入れたり、自分から進んで強盗、泥棒に身を貶める必要はあるまい。

 余談になるが、一万円札の肖像となっていた聖徳太子、現在の肖像である福沢諭吉。両名に共通していると感じるのが、中国大陸への依存、隷従からの脱却、世界の中で立派に自立した日本への確かな道筋を示した大人物であるということではなかろうか。そう思いつつ大好きな一万円札を懐にしまうのである。

 
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