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流れるままに戯言日記

流れるままに日々の思いを綴ります。

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広島・長崎の平和宣言に思う

 今年も原爆の日が来て、広島・長崎で平和宣言が読み上げられました。今日はその個人的な感想をダラダラ垂れ流そうと思います。

 両市長の宣言を聞き、失礼ながら「希望・空想・夢はいいが、現実はどうよ?」との感想を抱きました。共通していたのはオバマ大統領の核廃絶への演説に対する無邪気なまでの支持。オバマ氏はプラハでは、

 「核兵器を使った唯一の国として」、「核兵器のない世界」実現のために努力する「道義的責任」があることを明言しました。

 だそうです。昨日のたかじんの番組での勝谷氏の言葉を借りれば、国内の銃の廃絶すら出来ない国が他国の核まで廃絶できるのでしょうか。明確な意思であれば、それに至る明確な方法論、目標値、期限も明示されねばなりません。しかし、オバマ氏の言葉には説得力のある方法論が欠落しています。実現の可能性など誰も信じません。

 米国市民にとって、銃が手に出来る最強の武器である限り手放すことがないように、核が最強(最凶)兵器である限り世界で全廃などありえません。現実的に言えば「可能なのは量の適正化(削減)と管理のみ」くらいではないでしょうか。

 ヒネクレ者の自分はオバマ氏の発言をあまり好意的に捉えてはいません。核開発の歴史からすれば、相当量の使い物にならない核兵器不良在庫があるはずですが、単に処分するのではなく政治的に最大限に利用使用としているのでは?あるいは、近い将来に核と同等または上回る性能の兵器開発の見通しがたったのでは?更に本音のところは日本の自前の核武装抑止が狙いなのでは?・・・などの疑念が晴れません。

 さて、両市長とも日本国憲法や日本の非核3原則の法制化といった、いかにも左翼の大好きな言葉をちりばめています。しかし、日本の安全保障にかかわる踏み込んだ話は見えません。世界を見渡してみれば、3個目の核が投下される危険度が最も高いのが日本のような気がしてならないのに。

 オバマ氏は核使用国としての「道義的責任」を口にしました。道義的責任?それだけですか?多数の女子供を含む非戦闘員を焼き殺すことは明確な「国際法違反」であって「法的責任」ではないでしょうか。とはいえ「責任」を口にしたことは変化と言えなくはありません。それであれば、道義的責任に基づき、まずは日本への核抑止力の提供(シェアリング)を提示してもよさそうなものです。

 日本は世界トップクラスの経済力、技術力を持っていながらふさわしい核抑止力を持たないというのはあまりにも不安定・危険極まりないと思うのは素人の思い込みでしょうか?政治力は確かに三流なのは認めますが、国力、国家としての総合的な機能面から見ても核武装するにふさわしい、いや核武装しないとかえって地域の不安定要素を増加させ、戦争へのきっかけを生んでしまいそうに思えます。核という重荷を背負えば政治家も甘えは許されず、プロとしての責任ある仕事を要求されます。国民も主権者として自覚に目覚めれば、社○党のような無責任政党やタレント議員など駆逐できそうに思います。







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